同棲生活

まさかの妊娠と主治医の異動・・・そして現在

前回の記事:同棲と二度目の入院

退院して間もなくでした。彼の職場の女の子が同棲していた彼氏と別れて家を追い出され、わが家に転がり込んできました。
狭い家で変な3人の生活が始まりました・・・
主治医にも心配はされましたが、私もよく分からず何も感じていないつもりでした。そう・・・つもりで深層心理に気付いていなかっただけなのです・・・
退院から1か月と経たないうちに、とんでもない過食症が始まります。食べても食べても空腹で、とにかく食べ続ける毎日でした。
吐かない過食症だったため体重がみるみる増加・・・1か月で過食は治まりましたが、体重20kg増加の副産物を残していきました・・・

終息して落ち着いたころでした。主治医にまた転勤の話が浮上しました・・・
しかも今回の移動は外来を持たない転勤で、ついて行きようもないというものでした。
「まだ誰も知らないから、誰かから聞かれるまで黙ってて」
と・・・職員である看護師もまだ知らない話だったようです。
ついに主治医が変わる・・・いつか来るとは思っていましたが、相当ショックで泣いてしまいました。

そんな中私にもあるはずがないと思っていたことが起こります。
出来るはずがなかった・・・妊娠です・・・
すぐ主治医に電話しました。主治医もビックリで「明日来て!」と言われました。
翌日病院に行き、服用している薬を完全に見直さないといけないと言われ、一緒に薬事辞典を調べたのを覚えています。
そう・・・これが入院中に離脱症状を起こしてでも断薬するべきだった出来事です・・・
新しく追加した抗うつ剤と毎日飲んでいる抗不安薬、睡眠導入剤1種類、睡眠薬は安全ラインでした。
ですが切りたかった抗うつ剤にはデータがなく空欄になっていたのです。その他にも睡眠導入剤1種類と頓服利用の安定剤、双極性障害の薬が禁薬でした。

主治医も頭を抱えていました。自分の患者が妊娠するというのは初めてだったようです。そんなにあることではないと思うので無理もありません。
「でも絶対産もう!これがうつ最初の原因になったんだから、出産が治るきっかけに十分なり得る」
と後押ししてくれました。
「ただ・・・離脱だけ耐えられる?長くても10日くらいだと思うけど・・・離脱の間だけ入院するでも構わないよ」
と心配そうに言ってくれましたが
「家にまだ居候がいるし入院は怖い。大丈夫!家で耐えて見せるから!何かあればすぐ電話で報告します」
と自宅で離脱症状と戦うと決めました。私に何か起こっても誰も悪くない。心にもそう言い聞かせました。

そしてその日の夜から抗うつ剤の断薬が始まりました。
翌日のお昼過ぎから徐々に離脱症状が始まりました。2日目3日目と離脱症状は強くなってきます。起きることも出来なくなり、トイレに行くのも這っていくような状態でした。
何も食べられず、同居人の食事の匂いで嘔吐・・・寝ていても異常な発汗で服はおろか寝具もびしょぬれ・・・呼吸も苦しく「ハアハア」息を切らす状態が数日続きました。
落ち着いてきたのは1週間後くらいでした。
苦しかったですが流産することもなく無事離脱症状を抜けました。
「頑張ったね。これでもう大丈夫だから」
と完了報告をして、あとは妊娠生活を安定して生活することだけが目標になりました。

ですが妊娠初期は普通の人でも精神的に不安定になります。うつ病を持ったままの私はその影響をもろに受けてしまいます。
家にはまだ居候がいます。妊娠したとはいってもまだ入籍もしていません。産んでいいのかと聞いても濁った答えしか返ってこず、はっきりしません。
彼と居候の彼女は職場が同じ、会話も職場の話ばかりで私には全く分からない会話・・・
疎外感と同時にまた孤独が襲います・・・やり場のない思いを抱えたまま切迫気味の状態で家出をしたり、不安定さからキレて大暴れをしたり、煮え切らない彼の態度に「赤ちゃんを殺してやる」とODを再三に渡り引き起こしたりと、不安定な状態が長く続きました。

そんな最中に主治医の転勤の日もやってきました。それと同時に私も出産することになる総合病院の精神科へ一時転院することになりました。
新しい主治医に心を開くことはないまま、薬の処方のみをお願いするだけの受診が続きました。
妊娠も中期に入り、結局産むのか産まないのかの回答が聞けないまま、中絶不能週数へ突入・・・産むという選択肢しかなくなりました。
煮え切らない態度に度々ODを起こし救急・・・あまりにも頻回すぎて救急から市へ連絡が入り、障害認定を受けていることもありついに市が動きました。
市の女性カウンセラーが聞き取りに自宅に来ました。
これまでの経緯や私の気持ちを聞き、市が出来ることは全力でバックアップすると言われ、とにかく無事に出産できるようにと市と病院が連携する形になりました。
市の精神保健課と保健センターの保健師、障害介護の担当と3人が私の担当として配属され、出産後のフォローまで道を作ってくれました。

ですが出産2か月前に彼が仕事を失い、危機感がない彼はすぐに仕事を探そうとしなかったため無収入が2か月あり・・・
入籍も出産1週間前、彼の仕事再開も出産半月前と安心して出産できる状況ではありませんでした・・・
当然のように出産費用が払えなくなるなど大問題はありましたが、ひとまず無事に五体満足で元気な赤ちゃんを出産しました。

自宅に帰り育児の毎日が始まりました。ですが経済的には大ピンチです。
出産後初給料は5万円・・・赤ちゃんのミルクとおむつ代でほぼ消えます・・・
夫となった彼が親に相談しますが、義親が自宅にやってきて義母が玄関先で叫びました。
「何でそんなにお金がないの!?分かった!豪遊してるんでしょう!?そう!豪遊!!大体出産費用なんて無料のはず!!」
豪遊?無料??何言ってるのこの人!?生後2か月にもならない子がいるのに・・・と怒り半分悲しさ半分の感情が生まれます。

どうせ私が悪いことになっているのだろう・・・と負の感情がどんどん大きくなり・・・
出産直前から妊娠高血圧症になり、その後遺症が強かったことから産後降圧剤を服用していました。その残りの薬を他の精神薬と共に一気に飲みました・・・
結果過去のODの中でも1番命の危険が大きいODとなりました・・・救急搬送される救急車の中で
「体温34度、バイタル~~」と隊員の方の報告する声が焦っているように聞こえたのをかすかに覚えています。一命は取り留めました。

これが現在に至るまでで最大で最後のOD となりました。
義母との間にはこのことがしこりとなって現在も残っています。

育児の忙しさや、市の介入のおかげで保育所、介護ヘルパーと支援も入ってもらえたことで、自傷行為はめっきりなくなりました。
2年後2人目を出産し、貧しいながらもそれなりの生活を送れるようになりました。

現在も完治はせず、通院と投薬は続いていますが市と病院、介護士、保育士・・・様々な方に支えられ毎日を生きています。
命があったからこそ出会えた新しい命に感謝しながら、最初の主治医に言われた言葉
「絶対産もう!出産が治るきっかけに十分なり得る」
を忘れずに、子供の成長を見守っていきたいと思っています。

関連サイト:二人目不妊ブログ

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