まさかの妊娠と主治医の異動・・・そして現在

前回の記事:同棲と二度目の入院

退院して間もなくでした。彼の職場の女の子が同棲していた彼氏と別れて家を追い出され、わが家に転がり込んできました。
狭い家で変な3人の生活が始まりました・・・
主治医にも心配はされましたが、私もよく分からず何も感じていないつもりでした。そう・・・つもりで深層心理に気付いていなかっただけなのです・・・
退院から1か月と経たないうちに、とんでもない過食症が始まります。食べても食べても空腹で、とにかく食べ続ける毎日でした。
吐かない過食症だったため体重がみるみる増加・・・1か月で過食は治まりましたが、体重20kg増加の副産物を残していきました・・・

終息して落ち着いたころでした。主治医にまた転勤の話が浮上しました・・・
しかも今回の移動は外来を持たない転勤で、ついて行きようもないというものでした。
「まだ誰も知らないから、誰かから聞かれるまで黙ってて」
と・・・職員である看護師もまだ知らない話だったようです。
ついに主治医が変わる・・・いつか来るとは思っていましたが、相当ショックで泣いてしまいました。

そんな中私にもあるはずがないと思っていたことが起こります。
出来るはずがなかった・・・妊娠です・・・
すぐ主治医に電話しました。主治医もビックリで「明日来て!」と言われました。
翌日病院に行き、服用している薬を完全に見直さないといけないと言われ、一緒に薬事辞典を調べたのを覚えています。
そう・・・これが入院中に離脱症状を起こしてでも断薬するべきだった出来事です・・・
新しく追加した抗うつ剤と毎日飲んでいる抗不安薬、睡眠導入剤1種類、睡眠薬は安全ラインでした。
ですが切りたかった抗うつ剤にはデータがなく空欄になっていたのです。その他にも睡眠導入剤1種類と頓服利用の安定剤、双極性障害の薬が禁薬でした。

主治医も頭を抱えていました。自分の患者が妊娠するというのは初めてだったようです。そんなにあることではないと思うので無理もありません。
「でも絶対産もう!これがうつ最初の原因になったんだから、出産が治るきっかけに十分なり得る」
と後押ししてくれました。
「ただ・・・離脱だけ耐えられる?長くても10日くらいだと思うけど・・・離脱の間だけ入院するでも構わないよ」
と心配そうに言ってくれましたが
「家にまだ居候がいるし入院は怖い。大丈夫!家で耐えて見せるから!何かあればすぐ電話で報告します」
と自宅で離脱症状と戦うと決めました。私に何か起こっても誰も悪くない。心にもそう言い聞かせました。

そしてその日の夜から抗うつ剤の断薬が始まりました。
翌日のお昼過ぎから徐々に離脱症状が始まりました。2日目3日目と離脱症状は強くなってきます。起きることも出来なくなり、トイレに行くのも這っていくような状態でした。
何も食べられず、同居人の食事の匂いで嘔吐・・・寝ていても異常な発汗で服はおろか寝具もびしょぬれ・・・呼吸も苦しく「ハアハア」息を切らす状態が数日続きました。
落ち着いてきたのは1週間後くらいでした。
苦しかったですが流産することもなく無事離脱症状を抜けました。
「頑張ったね。これでもう大丈夫だから」
と完了報告をして、あとは妊娠生活を安定して生活することだけが目標になりました。

ですが妊娠初期は普通の人でも精神的に不安定になります。うつ病を持ったままの私はその影響をもろに受けてしまいます。
家にはまだ居候がいます。妊娠したとはいってもまだ入籍もしていません。産んでいいのかと聞いても濁った答えしか返ってこず、はっきりしません。
彼と居候の彼女は職場が同じ、会話も職場の話ばかりで私には全く分からない会話・・・
疎外感と同時にまた孤独が襲います・・・やり場のない思いを抱えたまま切迫気味の状態で家出をしたり、不安定さからキレて大暴れをしたり、煮え切らない彼の態度に「赤ちゃんを殺してやる」とODを再三に渡り引き起こしたりと、不安定な状態が長く続きました。

そんな最中に主治医の転勤の日もやってきました。それと同時に私も出産することになる総合病院の精神科へ一時転院することになりました。
新しい主治医に心を開くことはないまま、薬の処方のみをお願いするだけの受診が続きました。
妊娠も中期に入り、結局産むのか産まないのかの回答が聞けないまま、中絶不能週数へ突入・・・産むという選択肢しかなくなりました。
煮え切らない態度に度々ODを起こし救急・・・あまりにも頻回すぎて救急から市へ連絡が入り、障害認定を受けていることもありついに市が動きました。
市の女性カウンセラーが聞き取りに自宅に来ました。
これまでの経緯や私の気持ちを聞き、市が出来ることは全力でバックアップすると言われ、とにかく無事に出産できるようにと市と病院が連携する形になりました。
市の精神保健課と保健センターの保健師、障害介護の担当と3人が私の担当として配属され、出産後のフォローまで道を作ってくれました。

ですが出産2か月前に彼が仕事を失い、危機感がない彼はすぐに仕事を探そうとしなかったため無収入が2か月あり・・・
入籍も出産1週間前、彼の仕事再開も出産半月前と安心して出産できる状況ではありませんでした・・・
当然のように出産費用が払えなくなるなど大問題はありましたが、ひとまず無事に五体満足で元気な赤ちゃんを出産しました。

自宅に帰り育児の毎日が始まりました。ですが経済的には大ピンチです。
出産後初給料は5万円・・・赤ちゃんのミルクとおむつ代でほぼ消えます・・・
夫となった彼が親に相談しますが、義親が自宅にやってきて義母が玄関先で叫びました。
「何でそんなにお金がないの!?分かった!豪遊してるんでしょう!?そう!豪遊!!大体出産費用なんて無料のはず!!」
豪遊?無料??何言ってるのこの人!?生後2か月にもならない子がいるのに・・・と怒り半分悲しさ半分の感情が生まれます。

どうせ私が悪いことになっているのだろう・・・と負の感情がどんどん大きくなり・・・
出産直前から妊娠高血圧症になり、その後遺症が強かったことから産後降圧剤を服用していました。その残りの薬を他の精神薬と共に一気に飲みました・・・
結果過去のODの中でも1番命の危険が大きいODとなりました・・・救急搬送される救急車の中で
「体温34度、バイタル~~」と隊員の方の報告する声が焦っているように聞こえたのをかすかに覚えています。一命は取り留めました。

これが現在に至るまでで最大で最後のOD となりました。
義母との間にはこのことがしこりとなって現在も残っています。

育児の忙しさや、市の介入のおかげで保育所、介護ヘルパーと支援も入ってもらえたことで、自傷行為はめっきりなくなりました。
2年後2人目を出産し、貧しいながらもそれなりの生活を送れるようになりました。

現在も完治はせず、通院と投薬は続いていますが市と病院、介護士、保育士・・・様々な方に支えられ毎日を生きています。
命があったからこそ出会えた新しい命に感謝しながら、最初の主治医に言われた言葉
「絶対産もう!出産が治るきっかけに十分なり得る」
を忘れずに、子供の成長を見守っていきたいと思っています。

関連サイト:二人目不妊ブログ

同棲と二度目の入院

前回の記事:1ヶ月の入院生活・・・そして離婚

話し合いも実らず、私は独りぼっちから解放してほしい。夫はもうこれ以上この病気を面倒診きれない。と、あっさり離婚になりました。
私は強制的に居場所のない実家に戻され、居場所がないので家にはほとんど居ませんでした。
居場所のない実家での生活には無理があり、間もなく実家を飛び出し同棲することになりました。

そんな中も毎週の通院は続きました。全てを知っている主治医は離婚が成立したとこで、新しい交際相手を病院に連れてくるように言いました。
この病気が簡単なものではないことと、私のうつ病は大うつ病から双極性障害に変化する傾向にあることを説明するためでした。
そしてそれを受け止めることが出来るか、何もできなくなったとしても放置せずに看護できるか、覚悟があるかを問うためでもありました。
それが出来ないと思うのなら、主治医として私を任せることは出来ない=この交際を認めることは出来ない、というとても重いものでした・・・
彼は分かっているのか分かっていないのか私にはよく分かりませんでしたが、主治医の問いに頷いていました。

双極性障害・・・うつ病とハイテンションの躁病を定期的に繰り返す病気です。 
そこに片足を突っ込んでいる状態で、薬で食い止めることも出来るから処方はしているけど、実生活にきっかけが生まれてしまえば薬で食い止めるには限界がある・・・というのが主治医の見解でした。
「双極性障害に完全に移行してしまったら完治は非常に難しくなります。だから進行の兆しが見えたら即入院させます。」
というのが主治医の判断でした。

知り合って数か月での同棲生活スタート。当然知らないことがたくさんありました。
様々なことがあり、私の精神状態は良くなったり悪くなったりを繰り返します・・・量は大小ありましたがODを起こすことも度々ありました・・・
そんな中収入面の不安が大きくなり始め、また働こうと復職を試みるも失敗・・・期間を開けて体調を整えて再チャレンジしてもまた失敗・・・
この失敗続きが私自身をどんどん追い詰めていきました・・・
そして退院からわずか1年後・・・またしても大きいODを引き起こし入院となりました。

この入院になるころに主治医から言われたことがありました。
私が飲み続けている抗うつ剤に新しい副作用が見付かり、その副作用が衝動的行動(ODやリストカットなどの自傷行為)を引き起こすという精神薬としてはあってはならない副作用というものでした。
私の度重なるODは薬の副作用も影響しているかもしれない・・・というのです。

今回も持っている全ての薬を飲みました。
ですが1回目の入院前には起らなかった変化が身体を襲います・・・抗うつ剤の離脱症状でした。
救急搬送された病院を退院して、精神病院に向かう時にはもう症状が発現していました。
異常な発汗、息苦しさ、全身の痺れと震え、嘔吐、頭痛・・・
電車で病院に向かうしかなかったのですが、普通に歩いて駅まで10分ほどの距離が1時間かかるという辛さでした。

病院に着いて診察の段階で明らかにおかしいと見て分かるレベルだったため、手続きは後回しで先に病棟のベッドへ連れていかれました。
血圧や脈拍など触診で分かることは一通り診ていたと思います。
私が訴える通り離脱症状だと診断した主治医は、すぐに抗うつ剤を処方するように看護師に伝え、しばらく側にいてくれたのを覚えています。
処方されたのはいつもの半量の抗うつ剤でしたが、この薬の副作用かもしれない自傷行為を考えると、全量戻すのは後々良くないと判断したのだと思います。
「夜にもう1回飲んで休めば、明日には離脱症状も落ち着いてると思うから、今日はこのまま休んでいたほうが良い。当直だから夜も時々見に来るようにするし安心して」
と言い残して、主治医は入院の手続きをするために病室を離れました。
付き添いで来てくれていた彼が書類など代わりに記入してくれたようで、あとは直筆が必要な書類だけになっていました。

薬を飲んで1時間くらい横になっていると、少し症状が治まってきました。
まだふらふらはしましたが、喉も乾いたし広間へ行くことにしました。
入院している顔ぶれは半分ほど変わっていましたが、そのまま残っている顔ぶれもたくさんいました。
「誰が担ぎ込まれたのかと思ったら○○ちゃんだった」
と声をかけに来てくれる患者が何人もいました。
「また休憩していけばいいよ。先生も側にいるしね」
と笑いながら言われました。私の主治医依存の強さはみんな知っていました。外来時に主治医にも似たようなことを言われたことがありました。
「何か分からないことに依存するくらいだったら、僕に依存してくれたほうがずっと安全。僕の休みも知ってるんだし、いる日は毎日来てくれても構わないよ。言っておくけど僕雇われ医師だから、毎日来てくれたからって給料には何も関係ないから誤解しないでね。」
と・・・当然医師としての発言ですが、さすがにこれは恥ずかしかったです。
何故か私だけが主治医の意向で外来担当日以外の曜日に毎週受診していたので、今思えばかなりの特別扱いだったと思います。

この入院も前回同様、毎日診察でした。
1回目ほど外出もしなかったので、朝と昼に2回呼ばれる日もありました。
この入院中に可能なら抗うつ剤を別の抗うつ剤に切り替えたいという主治医の思いも強かったです。でも難航しました。
入院した日に全量の半分には出来て、離脱症状も消えたので私もいけると思いました。
まずは代わりとなる別の抗うつ剤を飲み始めました。抗うつ剤0状態には出来ないことと、抗うつ剤は即効果が現れないことが前提にあるので、新しい薬を先に飲み始めないといけないのです。
でも期待とは裏腹に・・・もう半量、入院前からで言うと1/4にしようとすると離脱症状が現れるのです。
何度も試しましたが成功しませんでした・・・
後からですが、この入院中に離脱症状を起こしてでも切っておくべきだったと思う出来事が訪れます。

今回の入院は、復職失敗の積み重ねが原因でODを引き起こしたものだったので、心の休憩をしながら薬剤調整が主になりました。
仕事に関してはドクターストップとされ、経済的な問題は消えないのでまずは精神障害者福祉手帳を申請することで方向性が決まりました。
初診からおおよそ3年・・・ここまで悪化するとは主治医も思っていなかったと言われました。当然私も思っていませんでした。
1か月の入院で退院。今回は2回目ということもあり退院に向けての訓練も行いませんでした。
その後申請した手帳が手元に届きました。精神障害2級という判定でした。

1か月の入院生活・・・そして離婚

前回の記事:自殺未遂から初めての入院へ

入院生活が始まりました。
入院してすぐに血液検査と、脳波、心電図の検査がありましたが特に異常はなかったようです。
一般的に言う検査というのはそれっきりありませんでした。

主治医の方針で私はなるべく外に出たほうがいいと言われ、昼食後から夕方まで外出許可を取ってほとんど毎日外を散歩していました。
外とはいっても周囲はほとんど何もない山です。唯一1つだけある茶店に行くか、徒歩10分くらいのところにある公園に行くか程度です。
でも気晴らしにはなりました。

診察も本当なら週1回なのですがなぜか私は毎日あり、そのおかげもあってサイト依存も少しずつ消えていきました。
どん底で入院してから1週間、少しずつ元の私を取り戻しつつありました・・・相変わらず診察は毎日なのですが、主治医から
「看護師からテンション高いって報告受けてるんだけど、自分でどう思う?」
といきなり言われました。最初私は何を言われているのかよく分かりませんでした。
「待って。それってどういう意味?」
と聞き返すと、大体のテンションを計るさしのような物を出して
「真ん中が普通だとしたら、自分ではどれくらい?」
と聞いてくるので、私は真ん中少し上を指しました。
「普通か・・・看護師は何でそんな報告してきたんだろ?」
主治医は分からないみたいでした。診察はナースステーションで行うので、周りに勤務中の看護師がいます。ここぞとばかりに私ははっきり言いました。
「先生気付かないの?看護師が私の何を知ってるの?私はどん底の状態でここに入院しました。だからここに居る看護師は私のどん底しか知らないでしょ!?入院して1週間、毎日先生が診察してくれて話を聞いてくれる。それで私は少しずつ元の自分に戻ってきてる。これが普通なの。何よりここで私のことを一番よく知ってるのは先生だよね!?先生から見て今の私のテンションはどう見えるの?」
少し怒り気味に、看護師に聞こえるように言いました。主治医は私の言葉に逆に納得したようでした。
「僕から見ても普通だもんな。そっか言われてみたらそうだった。ごめん、この話は終わりで」
と笑っていました。

笑えるのはその診察以来看護師の私への態度も一変しました。
看護師の中には精神科というだけあって、患者を見下してるような看護師も当然います。
患者にも何故かこのやり取りは伝わっていて、仲良くなった患者には
「勇気あるねぇ。そんなこと言おうものなら保護室(隔離部屋)行きになってもおかしくないよ」
と何人かに言われました。それって患者の人権無視じゃない?と思いもしましたが・・・事を荒立てるつもりはなかったので黙っておきました。

そして毎日続く診察もやはり異例だったようで
「診察自分から頼んでるの?」
と仲良くなった人ほとんど全員に聞かれました。頼んではいません。全部主治医の方針でした。
「特別扱い」と受け取る患者や看護師も居たようです。でも看護師も私に変なことを言おうものなら主治医に筒抜けになると悟ったようでした。
入院患者の立場や主治医との関係性で態度が変わる看護師というのも変な気はしますが・・・精神科とはやはり特殊なんだなと思いました。

入院生活も長くなると友達も出来ました。退屈だった入院生活も少しずつ楽しくなってきました。
1番仲良くなったのは年齢も近く、同じうつ病患者で経緯のようなものも似ている女性でした。主治医も同じだったので「主治医に了解をとって」一緒に外出したりもしました。
主治医も
「確かに性格も似てるし経緯も似てるから気が合うかもしれないね。同じ病気の友達も貴重だと思うよ。医者は勉強して症状や心の動きが何となく分かるけど、実際に病気になってないから100%は分からない。でも同じ患者同士ならもっと分かり合えると思う。片方が落ち込んだ時も引っ張り上げやすいから。ただ一緒に沈まないようにだけ気を付けて。」
と注意点も交えて推してくれました。

入院3週間ほどでサイトのことはほぼ吹っ切れて、もう大丈夫!と思えるようになり始めました。
主治医からも退院に向けての準備に入ろうと言われました。
まずは外泊訓練で自宅に1度帰ります。帰って何かが起こればすぐに病院から迎えが来るという本当に訓練でした。
久しぶりの帰宅・・・ペットの犬が大喜びで迎えてくれました。
2日だけでしたが身体はかなり軽くなっていて、心の休養のおかげで家事もスムーズに片づけることが出来ました。

精神面も安定しているからと、夫はこの機会に話をしないとダメだと私の両親を家に呼びました。
うつ病のきっかけとなって以来・・・2年ぶりくらいの対面でした(実家までは徒歩10分の距離です)
私が自殺未遂を起こし入院したと知っていても、見舞いどころか病院に電話もしてこない親です・・・いまさら何を話す?と思いました。
案の定私が子供のころから抱えてきた親への不信感、そして今回のきっかけ、何もかもを知らない聞いてないで押し通してきました。
その上うつ病なんて認めない。医者に洗脳されているだけだ。と一方的に否定するだけで、何の話し合いにもなりませんでした。

そんな波乱はありましたが、2日の訓練を終え病院に戻りました。
主治医に報告すると頭を抱えていました。当然です・・・本来なら1番味方でいなければならない親が敵です。
でも今はその事は忘れて、退院と元通りの日常を取り戻すことが先決だと方向性を決め、退院への調整に入りました。

1週間後に退院日が決まりました。ただし通院は当分の間毎週受診に変わりました。
退院日みんなに「おめでとう」と言われ、一連のことを思い出し、涙が溢れました。
退院後待っている全て元通りの生活が待っているとも知らず・・・

退院して元の生活に戻りました。最初の数日は荷物の片付けや、入院中に出来ていない掃除や洗濯に追われて何事もなく過ごしていました。
病院での生活サイクルに身体もなっていたので、早寝早起きになっていました。夫が帰るのを待っているのは無理でした。
片付けも終わって生活が落ち着いてきました。すると・・・やっぱり夫は元通りなのです。
会話はなし。食事しながら携帯でゲーム。食べ終わればさっさと席を立って、ソファーに寝転がってテレビゲームとオンラインなのでチャット・・・
自殺未遂を起こす前と同じ・・・また私は一人です・・・

もう嫌だと思い、前回の教訓もあったので今度はきちんと調べて、月額制の優良コミュニティーサイトに登録しました。
男女関係なく友達が探せて、同じ病気の友達や同じ地域に住む友達が出来ました。
そして同い年の男性と気が合い、実際に会って遊ぶようになりました。一緒に居て会話がある。本当に楽しくて自分らしさが戻ってきたように感じました。
男女の仲になるのもそう時間はかかりませんでした。不倫という行為にはなりますが・・・
でも命をかけた訴えも一瞬でスルーされてしまったら・・・夫婦として破たんしていると思いました。

家に帰らない日も出てきました。帰っても会話はないのです。帰りたくもなくなります。
でもしつこいほど電話がかかってきます・・・
「帰ったってそこに居るだけで、私の存在なんて無視でしょ!?私がそこにはいる意味は何?ご飯作るだけの存在でしょう?」
とまくし立て、電話を切ったりしました。

そしてついに本当の破たんが訪れました・・・離婚です。

自殺未遂から初めての入院へ

前回の記事:復職に失敗して意欲が低下、強まる依存症

当然のことながらクレジットカードの請求額が大変なことになりました。そこで初めて夫は私が詐欺サイトに引っかかっていることを知ります。
泣きながら寂しくて仕方がなかったこと、何かにすがらないと自分が維持できないことを打ち明けました。
(当時のことを思い出すだけで今も涙が出ます・・・)
夫は自分が気付けなかったことを謝ってくれましたが、もう私の心にはそれも響かなくなっていました。

こんな事になってしまった責任は自分にあります。その日の夜はその事が頭いっぱいで眠ることも出来ませんでした。
夫はサイトから送られてくるメールを受信拒否に設定し、眠ってしまいました。
1人考える深夜のリビング・・・目の前には毎日服用している薬が1か月分+頓服・・・
少ないけど私の生命保険でその分くらいは払えるだろう・・・思考はそっちへと傾き、全ての薬の封を切り手で掴んで飲み込めるだけ飲み込み、何度かに分けて全ての薬を飲み切りました・・・
それから遺書のようなものを書いたのを覚えていますが、途中からの記憶は残っていません。
後から聞いた話ですが、救急隊員の方が空いた薬の数を数えたそうで、約250錠は最低でも飲んでいたそうです。
運ばれた病院での処置は服用後何時間経っているか分からなかったため、とにかく胃洗浄と血液洗浄の点滴しか手段がなかったそうです。

目が覚めると病院のベッドの上でした・・・
「あれ・・・?生きてる・・・?失敗したんだ・・・」
まず思ったのはこの言葉でした。
どこの病院に居るのかも分からなかったのですが、通院している精神科の病院ではないことだけはすぐに分かりました。
夫が横に居て
「向こうの先生には大体の話は説明しておいたから。お前の意識が戻ったら電話してきてって伝言」
と言われテレフォンカードを渡されました。

意識が戻ったと入院中の病院の主治医にも伝えられ、軽い診察と採血が行われました。
そしてこちらの医師からも
「向こうの先生には連絡してあるから、胃にかなり傷が付いてるしそれが回復するまではこっちで預かることになっています。」
と言われ対応の速さにビックリしました。
頭の中が???になっていると
「ああ!救急で運ばれてきて処置してる間もずーーーっと向こうの主治医の先生の名前を呼んでたから、旦那さんに病院名聞いてすぐ連絡取れました」
と笑いながら言われました。
恐るべし依存・・・うわごとでも呼んでいたとは・・・そんな少し恥ずかしい思いもしました。

血を洗浄するための点滴をぶら下げたまま、公衆電話に一人で向かいました。
怒られる!絶対怒られる!と内心ビクビクしながら主治医に電話をしました。
主治医が電話に出るなり
「ごめんなさい!!」
と謝ったのを鮮明に覚えています。でも主治医は怒りもせず
「嫌な予感は的中したなァ・・・ここまでの事をするとは正直思ってなかったけど。後遺症とか何もない?」
とすごく優しく問いかけてくれて安心しました。今のところ後遺症は何もないことを伝え
「大体の経緯と原因は旦那さんが電話くれて聞いてるから大丈夫。そっちの病院の退院日が決まったらもう一回連絡してくれる?こっちはもう受け入れでベッドも空けてあるから、少し心の休憩しにおいで」
と本当に優しい主治医に公衆電話なのに私はボロボロ泣いていました。

救急で運ばれた病院は1週間で退院が決まりました。
1日は自宅で過ごし、翌日精神科病院に入院のため夫と向かいました。

精神科の入院は本当に独特でした。
外界との関りを極力カット、万が一の入院中の自殺防止、攻撃意識が生まれたとき武器になり得るものの持ち込みが禁止で、持ち込める荷物にもかなりの制約がありました。
携帯×、ポータブルゲーム×、たばこは○だけどライターが×、暇だから手芸でもしようと思いましたが針が×などなど・・・全ての荷物をナースステーションでチェックされ、唯一許可されたのは本とウォークマンだけでした。
そしてトイレットペーパーが自分持ち(トイレに行くときにもっていって終わったら部屋に持ち帰る)という決まりがあってビックリしました。以前は設置していたそうなのですが、誰かが持って行ってなくなるのだそうです。
テレビも広間にしかありませんでした。

病棟は男女混合病棟で比較的症状が軽いか、一時的な急性期患者が集まる病棟でした。主治医がこの病棟担当ということもありました。
病室は大部屋の4人部屋、個室希望すれば個室もいけましたが、精神科での個室は基本的に隔離か、一人にならないと落ち着かない患者が使うそうです。
食事は部屋ではなく広間に全員そろって食べます。席も決まっていて、名前が書かれたテープが貼られていました。

新参者を見るように、広間にいる患者たちみんなが私をチェックするようにジロジロと見ていました。
私は通院でうつ病以外の患者も見ていたので、気になりませんでしたが・・・夫は違います・・・そして元々精神障害者にものすごく強い偏見を持つ人でした。
ここに居る人間は全員敵だという認識を持った夫・・・「関わるな」と言っていました・・・私にはその偏見のほうが信じられませんでした。
私もさらに悪化すれば夫が関わるなと言っている人たちの仲間です。私がそうなったらこの人はどうするつもりなんだろう?率直にそう思いました。

次の記事:1か月の入院生活・・・そして離婚

復職に失敗して意欲が低下、強まる依存症

前回の記事:寂しさから始まった依存症の恐さ

抗うつ剤により身体の重さは半分でも楽になったので、依存症で出来たローンの返済もあるため働こうと決めました。
主治医もその意欲は大切だからとOKを出してくれました。
すぐに採用され、仕事も始まりました。最初は久しぶりの仕事だし気も張っていたので、少し身体は辛かったですが週5日、1日6時間勤務も出来ていました。

ですが1か月ほどが経過したあたりから、身体の重さが抗うつ剤を飲む前の状態に戻りました。
午前中からの仕事・・・身体が動かず出勤できない日が出てきました。最初は週の中日水曜日か木曜日あたりの出勤が出来なくなったのですが、それも日が徐々に増え始め週に3日行けたら良い方という状態になってしまいました・・・
どうしようもなくなり病気のことを打ち明け、その場でお話をして
「また働ける状態になったら戻ってきてください」
と言葉をいただき、退職しました。

そのことを夫に伝えると
「なんで俺に一言も相談せずに辞めた?」
と言われ・・・その場で決断するしかなかったということを分かってくれることはありませんでした。
この言葉は今現在も忘れることが出来ないほど当時の私を追い詰めました・・・

復職失敗により主治医には
「まだ早かったと割り切ろう。いきなり週5は無茶すぎました」
と言われましたが、キャリアウーマンタイプだった私にはショックが大きく簡単には割り切れませんでした。

「働くことも出来ない。じゃあ私は何をして生きていけばいいのだろう?」

私の心の中はそれで支配されるようになり
「誰にも認めてもらえない」「私は必要?」「何のために私はここに居るの?」
どんどん負の心に支配されていきます・・・
話す相手もおらず引きこもる毎日・・・ペットの散歩はおろか、家事も趣味のガーデニングや手芸も・・・全てが出来なくなりました。
意欲の低下がこれ以上進行しないために抗うつ剤が1つの薬での処方限界量まで引き上げられましたが、大きな効果はなく現状維持が精一杯で塞ぎ込む毎日が流れていきました。

そんな毎日を送っていたある日、1通のメールが届きます。今となっては単なる迷惑メールなのですが「話し相手になってほしい」という内容に、当時の私は飛びついてしまいました。
またしても依存です・・・詐欺サイトなのでポイントと称して多額のお金がかかります。
でもまだガラケしかない時代で、WEBサイトなども全く知らなかった私は詐欺と思っていませんでした。また月に何万というお金が消えていきます・・
でも誰かとコミュニケーションが取れることが、当時の私には本当に重要でした・・・騙されていたとしても・・・
干渉しないコミュニケーションがない夫婦なので夫も全く気が付きませんでした。

受診日前日、大好きなアパレルショップの店長から電話があり
「明日デザイナーが来るからお店に来ない?」
というお誘いでした。病院に向かう乗換駅にショップはあるので、行く前に寄ってみることにしました。
行くと新しくデザインされた服が展示されていて、一目惚れしました。受注生産で1着10万です・・・でも歯止めどころかテンションが一気に上がりそのまま予約・・・そして病院へ向かいました。

主治医は私の顔を見るなり
「何かあった?テンションかなり上がってない?」
と切り出してきました。この時点で1年半近くの付き合いになっていたので主治医は私の変化にも敏感でした。
来る前にショップに寄ってデザイナーと話をしてきたことを伝えると
「なるほど・・・それにしても高揚しすぎのような気がする」
とかなり引っかかっているような濁し方をし
「どうしても気になるから、来週再受診ね」
と言われました。

主治医の予感は的中しこの1週間の間に私は大変なことを起こします・・・

次の記事:自殺未遂から初めての入院へ

寂しさから始まった依存症の恐さ

前回の記事:抗うつ剤の処方とうつ病診断

抗うつ剤で完全とはいかなくても少し身体も楽になり、日常の家事や買い物、ペットの散歩にも午前中から出られるようになりました。
ですが仕事は失い、夫の帰りは毎日ほとんど日付が変わってからの帰宅・・・ペットはいますが、ずっと1人です・・・
あまり干渉しない夫婦関係でもあり、会話はほとんどありません。
そして人間の性格は様々な環境や人間関係で変化していくということが分からない?受け入れられない?夫はそういう性格でした。
私という人間は全てを自分で解決し、プライドが高く、ほっておいても大丈夫な人間と決めつけていたのです。
うつ病という診断名はついたけど精神状態が安定して眠れる毎日が戻ってきたのだから、もういつも通り自分のやりたいことをやって生活する毎日で大丈夫と勝手に判断されてしまった・・・
夫にいろいろ訴えてもみましたが
「仕事が忙しいから家に居る時くらい自分のやりたいことをさせてほしい」
と拒否されました。
話しかけても何か他のことに集中しながらの生返事。ちゃんと聞いているのかどうかも分かりませんでした。

毎日孤独と寂しさを抱えての生活が始まりました。
でも人間の防御本能でしょうか?何とか自分が自分であることを繋ぎ止めようと心は動きます。
「家に居てはいけない」「誰かと接していたい」私の心はそう動き、とにかく体調の良い日は外出するようになりました。

そして始まったのが
「ギャンブル依存症」と「買い物依存症」
です・・・
私はパチンコとスロットでしたが、どんなギャンブルでものめり込むといい事なんて何1つ残りません。
でも何かに集中することと、勝てているときの興奮が寂しさを紛らわせてくれるのです。
常連さん同士の会話や、親しくなる従業員も出来てきます。それが自分にとっての最高のコミュニケーションでした。
そして買い物依存・・・私にはアパレルに偏った拘りと好みがあり、そのブランドの服でなければ着ないと自分の中で決まっていました。
安くはありません。スカート1着5万円の世界です。それを毎月のように自分好みのデザインがあれば購入していました。
夫の収入は残業の多さから悪くはありませんでしたが、それでも続くはずがありません。残るのはカードローンのみ・・・
ショップは病院の帰りに寄れる場所にあったので、受診日の帰りは必ず寄っていました。もう常連なので、店員さんといろいろ会話するのも楽しかった。ここでのコミュニケーションも私には重要なものでした。

本人(私)は依存症とは思っていません。
私がそのことを病院で話すことはなかったため、主治医も早い段階で依存症に気づくことが出来ませんでした。
この依存症が後の悲劇に繋がります・・・
病院
ちょうどその頃主治医の転勤が決まり、主治医を変更してこの病院に残るか主治医の転勤先病院についていくかの選択をしなければいけなくなりました。
これも今思えば依存だったのだと思います。主治医が変わることが受け入れられず、病院まで片道1時間半と遠くなるのについていくと即断しました。

次の記事:復職に失敗して意欲が低下、強まる依存症

抗うつ剤の処方とうつ病診断

前回の記事:うつ病発症のきっかけは不妊の私と妊娠した妹

睡眠導入剤と抗不安薬で眠りの質はどうであれ、眠れるようにはなり泣いたり暴れたりする頻度も少なくなりました。
眠れるようにはなったのですが・・・今度は毎夜の悪夢に襲われるようになります。
内容も本当に過激で、戦争や飛行機の墜落、船の沈没、石油コンビナートの爆発など・・・何でこんな夢を見るの!?という内容ばかりでした。
その夢のおかげで今度は途中覚醒や朝起きても眠った気がしない毎日が始まりました。

夢の原因は分からないままでしたが、その夢の酷さに夢を見ない又は見ていたとしても覚えていない処方に変えようと、1つだった睡眠導入剤に加えもう1種類の睡眠導入剤と睡眠薬が追加されました。
不思議なものであれは何だったのだろう?と思うくらいきれいに悪夢は消えました。夢を覚えている日はほぼないという言い方が正しいと思います。
ですがそれとほぼ同時に、睡眠薬の効果時間をはるかにオーバーしているのにも関わらず、午前中に布団から出ることが出来なくなり始めました。
身体を起こせるのはお昼過ぎ・・・午前中は目が覚めても背中にとてつもなく重いものを背負っているような感覚で起きることが出来ません。
起きられても午前中は身体が重くだるい倦怠感が強くなり始めます。
怠けているわけではありません。元々仕事が出来ていた頃は早朝(6時半出勤)の勤務形態だったので、朝弱いはずはないのです。
起きられなくはなりましたが子供がいるわけではないし、夫のお弁当と見送りが出来ない程度のことで、実生活ではそんなに困ることはなかったため次回受診時までそのまま過ごしました。

そして受診日。起きられなくなったこととその症状を話しました。
主治医は少し考えていた様子でしたが
「抗うつ剤飲んでみますか?朝の辛い症状を緩和してくれる薬です。ただ効果が現れるまで時間がかかる薬で最低でも1か月は飲み続けないと効果が分からないです。」
と言われましたが、1か月後に変化が訪れてあの倦怠感が消えるなら文句はない!と思いそのまま試してみると伝え、抗うつ剤の処方が開始されました。
ここではっきり「うつ病」の診断名が付きました。
精神科で医師が患者にあまりはっきりとした診断名を告げないのは、精神的な病は患者が病名を聞くことでその病気にのまれて悪化することが多いからだそうです。
私の場合は病気を引き起こした「原因」がはっきりしていたため、その部分が解消されれば治る可能性が高いと主治医は判断したようです。

胃腸に気分が悪いなどの副作用が現れるかもしれないと言われましたが、特に副作用が出ることもなくまずは1か月の服用が始まりました。
本当に最初は効果があるのかないのか全く分かりませんでした。少し楽になった!?と感じ始めたのは2週間を過ぎた頃でした。
ですが1か月が経過しても100%元通りとはいきませんでした。身体の重さの半分くらいは消えたという効果でした。

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うつ病発症のきっかけは不妊の私と妊娠した妹

始まりは不眠でした。

私は20代前半の頃、別件で産婦人科を受診した際に
「今はまだ関係ないけど、このままでは子供が出来ないかもしれないね。結婚して子供がほしいと思ったら治療しようか」
と言われた過去がありました。
その時はまだ独身で、母親には言われたことを伝えたもののそんなに深くは考えていませんでした。

年月は流れ26歳で結婚。
結婚前に不妊症があることを相手のご両親にも了承してもらっての結婚でした。
披露宴の場で公表こそしませんでしたが
「子供はいなくて構わない。友達のような夫婦でありたい」
とだけ公言しました。
「子供は??」
と言われたくなかったからです。
結婚式
不妊治療は費用もかかるため、治療は行わず自然に任せました。
子供が出来ることはないまま5年ほどの年月が流れ、子供の代わりにペットを飼いそれなりに幸せなはずでした。

妹が結婚しました。その披露宴の場が不眠始まりのきっかけとなります。
私は母方の親戚・・・祖父母や叔父叔母くらいには母が私の不妊を伝えていてくれていると信じていました。
それが大きな間違いで誰もそのこと知らず、一番聞きたくない言葉
「子供はまだ??」
のシャワーを浴びる披露宴になり、私の心はお祝いどころではなくなりました。そして
「不妊症で子供は出来ないって披露宴で言えば良かった!?」
と吐き捨て、その場から飛び出しました。

その日の夜から眠れない毎日が始まったのです・・・
頭にあの言葉が浮かぶたびに涙が流れ、眠れないために些細なことでイライラする毎日・・・
市販の睡眠改善薬も毎日使いましたが効果はなく・・・
パートで仕事もしていましたが、行くことができなくなりました。

母にどうして私が不妊であることを親戚に伝えていなかったのかも問いました。母からの回答は更なる悪化を呼ぶものでした。
「あんたが不妊症なんて聞いた覚えがない」
私にはあり得ない答えでした・・・
その後妹はすぐに妊娠し、悪阻がきつかったのか詳しいことは知りませんが、母からメールで
「妹に気を遣え」
と一言書かれて送られてきて、完全に私の心はおかしくなりました。
この日から実家へ行くこともなくなり、母や妹と連絡を取ることもなくなりました。(妹とは現在も音信不通です)

泣く・暴れる・破壊・暴力・・・

あまりにも酷い精神状態に夫に受診を促され、精神科初受診へと至ります。
病院を探しました。
うつがメジャーな病気になり始めたころで、まだ今ほど病院の数も多くなく、近くの心療内科などに電話をしても予約が2週間先と言われたりしました。
「まだこのまま2週間耐えろっていうの!?」と泣きそうになりながら病院を探したのを覚えています。
すぐに受け入れてくれたのは、近所ではありませんでしたが知人に教えてもらった入院施設がある大きい精神病院でした。
発症から初診まで1か月近くたっていたと思います。

精神科の初診は時間も長めに設定されていて、子供のころからの親子関係や姉妹の関係、過去の精神面からくる病気の既往歴なども聞かれました。
私は高校生の時に自律神経失調症、20代前半にメニエール病を起こしていたので、その原因や経緯なども詳しく聞かれました。
年齢も近く優しい医師だったので全てを泣きながら吐き出し、手と体が震えていたのを今でも覚えています。

初診で診断名は告げられませんでした。
不眠と不安定な精神状態は診られるからと、比較的軽い睡眠導入剤と気持ちを落ち着かせるための抗不安薬が処方されました。
初診からしばらくの間は薬の効果を確認する必要もあったので、2週間に1度の受診が続きました。もちろん全く効果がなかったり、悪い変化があればいつでも受診という条件付きでした。

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